わさんぼん物語

これは讃岐の医師の「向山周慶」と奄美大島からお遍路に来ていた「関良介」の2人の人物を中心としたお話です。

むかしむかし、江戸時代のこと。当時、日本は鎖国をしており、甘い白砂糖はなかなか手に入らず大変高価なものでした。

そこで徳川家は、砂糖の国産化のための政策を打ち出し、全国で砂糖づくりを奨励。香川県でもなんとかして砂糖を作ろうと取り組みが始まりました。
ただ、砂糖の原料となるサトウキビがなかったのです。 

サトウキビ畑

奄美大島からお遍路に来ていた関良介。お遍路の途中、病に倒れていたところを周慶が助けます。彼は医者だったので、倒れていた良介を看病し、看病の甲斐あって良介は命を取り留めました。

看病の間、周慶と良介はいろいろな話をし、砂糖作りを任命されていること、しかし讃岐の地にはサトウキビがなく困っていることなどを話しました。

治療も進み、良介は体調も回復。良介は故郷の奄美大島に帰ることになりました。

サトウキビ畑
良介は故郷に帰ってからも、周慶の話が忘れられず、助けてもらった恩をなんとか返したい、と考えていました。 

そうだ!サトウキビ!この奄美大島のサトウキビを周慶に届けよう。そう考えました。 

しかし、当時大変高価だった砂糖。その原料のサトウキビはその地の重要な資源であったため、藩外への持ち出しは禁じられており、掟を破ると打首の重罪となります。 

良介はお弁当箱の底にサトウキビを忍ばせ、なんと奄美大島から讃岐の地へとサトウキビを持って運びました。 

和三盆の開発
様々な研究の末、サトウキビから砂糖を作ることに成功。 

しかし、出来上がった砂糖は、白砂糖というよりは、少し茶色く、雑味も多い状態のものでした。 

出来上がった砂糖は、天下の台所、大阪に運ばれました。 

しかし、運んでいる途中、牛の背中に乗っていた砂糖が、なんと川に落ちてしまいます。 

和三盆物語

急いで拾い、大阪に着いてから砂糖を開けてみると、なんと川に落とした砂糖が白くなっており、雑味が抜け、甘い砂糖になっていました。 

「水を含ませて、水を抜けば白くなる? 」

 

今の和三盆の作り方が編み出されたのは、このような物語もあると言われていますが、こういったハプニングも上手に活かし、酒造りの製造方法を真似て、今の和三盆の製造方法は確立したと言われています。

そうして確立した伝統的な「研ぎ」「押し舟」という作業を、盆の上で3回繰り返したことから「和三盆」と言われるようになりました。

こうして香川では200年以上、和三盆が愛されてきました。 
多くの方が和三盆を愛してくれるように、今でもこころをこめてつくっています。 

「周慶」と「良介」の2人の友情がうんだ、讃岐の和三盆。 
これからも、ずっと続いていきますように。 

和三盆の話

今まで知らなかった和三盆の物語。
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2024 ⁄ 06 ⁄ 25